
誰の人生にも逆風が吹くときがある。それをどう乗り越えるかで、その後の展開は変わってくる。逆風を追い風にして、今はとても充実した毎日を送る、KTC中央高等学院・名古屋キャンパスで教員を務める窪田保さんを訪ねた。
中学時代から続けてきた柔道を、怪我のために止めることになった大学1年の秋。「心にぽっかり穴が空いたような毎日でした」、と窪田さんは当時を振り返る。そんなときに手にしたのが、小学校の頃に夢中になったけん玉だった。日本けん玉協会広島支部が毎年行っているモンゴルでのけん玉交流にも参加。集まった大勢の子どもや大人が、けん玉という日本の遊びを通して、楽しそうに交流する光景に感動した窪田さんは、大学3年の夏に、ヒッチハイクで「日本縦断けん玉交流の旅」に出る。小学校や保育園を訪問し、多くの子どもたちの笑顔から元気をもらった。見ず知らずの人が快く車に乗せてくれたり、応援メッセージをノートに書いてくれたり。気づけば、ぽっかりと空いていたはずの「心の穴」は、けん玉を通して出会った多くの人たちの優しさでしっかりと埋められていた。
「たくさんの人に助けられてきたぶん、恩返しをしたい」
青年海外協力隊への参加は、そんな気持ちから決意したことだった。
学校に通っていた時期は常に良き恩師に恵まれていたため、自らもいつか教員になりたいとの夢を持っていた窪田さんは、大学で教員免許を取得していたこともあり、理数科教師としてモザンビーク共和国の中学校へ派遣される。要請内容は、理科の授業に実験を取り入れること。酸素で炎が大きくなったり、水素が『ポン』と音をたてて燃えたりする様子に、生徒たちは大きな興味を示した。やりがいはあるものの、実験のノウハウを引き継いだ現地の教員が、学期の途中で辞めていってしまうという状況にジレンマを感じることもあった。自らがマラリアにかかり苦しんだ時期もあった。「笑ってしまうくらい思うようにいかないことの連続でしたが、どんな状況下でも『その限られた中でできることをしよう』と考えるようになれたことは僕の財産です。実験に必要な指示薬に困らないように、野原に生えている花から指示薬を作る方法を教えたりもしました。少しずつではありましたが、現地の先生たちによって実験の授業が行われるようになったときは、やっぱり嬉しかったですね」と窪田さんは屈託なく笑う。

一方で、学校が休みの土曜日には、誰もが参加できるけん玉教室を開いた。参加者は徐々に増え、窪田さんの教え子のひとりであるフラービオ君は、2年という短期間で、めきめきと腕をあげ、ついには日本で開催される「ワールドオープンけん玉大会」に出場することに。そして、見事に優勝。連続8時間という記録は、奇しくも窪田さんが大学時代に樹立した記録と同記録だった。
フラービオ君の頑張りから一層大きな力を得た窪田さんは、帰国後、大学で取得した教員免許と協力隊での教員として経験を武器に、転職サイトを通じて現職に。現在は「けん玉先生」の名で生徒の人気を集める窪田さんだが、協力隊での経験は今なお役立っていると話す。
「『物ごと(人間関係、勉強、進路など)が自分の思うようにいかない』という不安や焦りを抱えている生徒に対して、心の底から共感し、親身に話を聞いてあげられるのは、自らがモザンビークで『うまくいかないことだらけ』を経験しているからだと思うんです。また、目の前のことにとらわれがちな生徒に対して、世界は広く、人生における選択肢は1つや2つではないことを、自分の経験を通して話すこともあります」。
2008年、窪田さんは「KTC けん玉 夢基金(※)」を立ち上げた。これは、窪田さん率いる同校の生徒たちが、地域で行われるイベントなどでワークショップを開くと同時に、けん玉を販売した収益金でモザンビークに小学校を建設するというもの。ワークショップは地域の子どもにも大人にも喜ばれ、運営に携わる生徒たちはたくさんの人から「ありがとう」と言われる喜びを知る。その喜びの連鎖が、海を越えてモザンビークの子どもたちに届く日が今から楽しみだ。
※「KTC けん玉 夢基金」についてはこちら
「何が起きても動じない『たくましさ』と、どんなことでも受け止める『心の広さ』が身についたこと。あとはやっぱりフラービオが優勝したときは本当に嬉しくて、抱き合って泣いてしまいました」
「マラリアにかかって熱が下がらなかったり、寄生虫でお腹を壊したりしたこと。あと、生徒1人1人の顔と名前が一致するまでに苦労しましたね、最初はみんな全員同じ顔に見えてしまって(笑)」