1968年7月5日埼玉県生まれ。87年、銀座「東京吉兆本店」で料理界入り。95〜97年日本料理講師としてシリアに赴任。97年より老舗「湖月」の料理長に就任し、現在に至る。<季節料理「湖月」/18〜22時 日・祝定休>



きっかけは母から送られた切り抜き
流行の発信地、東京・表参道にあるこじんまりとした季節料理店「湖月」。同店で10年間、料理長として包丁を振るうのが佐藤重行さんだ。19歳から日本料理の道に入り、料理の腕に磨きをかけていた佐藤さんが青年海外協力隊について知ったのは、93年、24歳の時だった。
「母親がね、募集の切り抜きを送ってきたんです。説明会にぶらっと行ってみたら『“料理”という職種がある』と係の方に勧められて、『とりあえず試験だけでも受けてみたら?』と。いざ受かっちゃったら、行ってみたくなるもんですね(笑)」
海外旅行が好きだったとはいえ、「どこにあるか知らなかった(笑)」というシリア・アラブ共和国。その首都ダマスカスへ赴いた彼は、日本人観光客向けに日本食を提供しようという観光業界の要請に対し、観光専門学校でアラブの若者たちに日本料理を教えることになる。「日本食を“教える”というより、“紹介する”に近い感じだった」とのことだが。
教えられた「人としての気持ち」
そして97年に帰国。人の縁もあり、現職の「湖月」料理長に。
「ホームシックにかかったことは一度もなかったですし、帰国後の再就職の苦労もあまりなかった。海外生活のペースが抜けないってよく聞きますけど、そんなこともなかったし…ずうずうしいんですかね(笑)」という佐藤さんに、これから海外ボランティアを目指す人たちへのアドバイスを聞いてみた。
「成長できるチャンスではあるけれど、それだけに利用するのは違うと思うんです。なにかを教えに行くことは大事ですけど、そればかりじゃいけない。(現地で)教えられることの方が断然多いですから」
教えられること、それは「人としての気持ち」だという。
「彼らは“情”が本当に厚いんですよ。“気持ち”というんでしょうか、“恩”とかそれに対する“礼”とかが、本当にいつまでもずっと繋がっていくんです」
人をもてなすあたたかい心は、繊細な日本料理に携わる佐藤さんへも大きな影響を与えたに違いない。ちなみに、シリアで仲の良かった生徒が、2週間ほど日本に滞在したことがあったそうだ。
「そのときが一番異文化を感じ時たかもしれません。新宿都庁の展望台に上ったら、ちょうど夕暮れ時のきれいな風景でね…ふと横を見たら、そいつが涙を流している。純粋なんですよね」
もちろん彼とは、その後もずっと交流が続いている。
「アラブ料理が口に合って、いきなり太った」というほど順応性の高かった佐藤さんだが、態度の悪い生徒を殴ってしまった時のあまりの非難に、文化の違いを痛感したとか。「人前で殴られるのは、彼らにとって本当に屈辱的なことだったんです」そのほか、同僚の奥さんになかなか挨拶ができないなど、イスラム特有の風習を体験。
当時のエピソードを語る佐藤さん